札幌地方裁判所 昭和48年(行ウ)6号 判決 1974年12月20日
原告 小林敏志
被告 北見労働基準監督署長
訴訟代理人 成田信子 有倉照雄 ほか三名
主文
1 原告の主位的請求を却下する。
2 原告の予備的請求を棄却する。
3 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者双方の求めた裁判
一 原告
(主位的請求)
1 被告が昭和四六年五月一日付をもつて原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付および休業補償給付を支給しない旨の処分を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
(予備的請求)
1 被告が昭和四六年五月一日付をもつて原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付および休業補償給付を支給しない旨の処分は無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
(主位的請求に対する本案前の申立)
1 本件訴えを却下する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
(主位的請求並びに予備的請求に対する本案の申立)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者双方の主張
一 原告
(一)(主位的請求原因)
1 原告は昭和四二年一〇月製材業を経営する父訴外小林武に雇傭され月額三万円の給与を受け指目工として、紋別郡遠軽町所在のその木工場における労働に従事していたものである。
2 原告は昭和四六年二月一日午後二時三〇分頃右木工場において、丸鋸を操作して製缶材の巾を決め耳を切り落す作業に従事中、突然飛んできた木片が左眼眼鏡に当り眼鏡が割れて左眼球破裂の傷害を受けた。原告は受傷直後から同年三月六日までの間遠軽厚生総合病院に入院治療を受け、次いで同月二九日まで同病院に通院して加療を受けたが、結局左眼失明の止むなきに至つた。
3 原告は同年三月一三日被告(当時の署長は川内克彦)に対し、労働者災害補償保険法に基づき右療養期間中の療養費四万八、三六八円および同月一六日には休業補償費として昭和四六年二月分の給付を請求したところ、被告は同年五月一日付をもつて、原告が同法にいう労働者に該当しないことを理由として、右療養費および休業補償費を支給しない旨の処分をした。
4 しかしながら、原告は労働者災害補償保険法にいう労働者に該当するものであるから、被告のなした処分は違法であり取消を免れない。
5 原告は本件処分を不服として北海道労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたところ、同審査官は同年一二月二〇日付をもつてこれを棄却し同決定書謄本は昭和四七年一月一〇日原告に送付された。そこで原告はこの決定を不服として昭和四七年一一月九日労働保険審査会に対し再審査請求をなしたところ、同審査会は昭和四八年四月九日付をもつてこれを却下する旨の決定をなしたものである。
(二) (予備的請求原因)
仮に右再審査請求が期間を徒過しているために原処分取消の訴えが不適法であるとしても、原告が同法にいう労働者であることは明白な事実であり、被告のなした原処分はこの点につき重大かつ明白な瑕疵があり違法無効なものである。
二 被告(本案前の抗弁)
本件処分取消しの訴えは、労働者災害補償保険法(昭和四八年法律第八五号による改正前)第三八条により行政事件訴訟法第八条第一項但書にいう当該処分についての審査請求に対する裁決を経た後でなければ提起することができない場合であるのにかかわらず、本件処分について、適法な審査請求がなされておらず、かつ、同条第二項二、三号により直ちに訴えを提起することができる場合に該当しない。
すなわち原告の労働者災害補償保険法に基づく療養費、休業補償費の請求に対し、被告は、原告が同法にいう労働者に該当しないとして、右療養費及び休業補償費を支給しない旨の処分をしたことは原告主張のとおりであるが、被告は当該処分についての北海道労働者災害補償保険審査官の決定を不服として昭和四七年一一月九日労働保険審査会に対し再審査請求をしたものである。
ところで右再審査請求は、請求人に審査官の決定書の謄本が送付された日の翌日から起算して六〇日以内にしなければならないところ(労働保険審査官及び労働保険審査会法第三八条一頃)、本件審査官の決定書の謄本が原告に送付されたのは昭和四七年一月一〇日であり、同人が審査会に再審査請求書を郵送したのは同年一一月九日であつて、結局本件についての再審査請求は、前記法定期間を経過してなされた不適法なものとして却下されたものである。このような場合右審査請求は行政事件訴訟法第八条第一項但書にいう裁決前置の要件を充たしたものということができず、従つて不適法な訴えとして却下をまぬがれない。
三 被告
(一) (請求の原因に対する認否)
1 第1項の事実中、原告が昭和四二年一〇月以降訴外小林武の経営する木工場において労働に従事していたことは認めるが、同人に雇傭されていたとの点は争う。その余の事実は不知。
2 第2項の事実中、左眼失明の事実は不知。その余は認める。
3 第3項の事実は認める。ただし請求療養費は金六万六、四八四円である。
4 第4項は争う。
(二) (被告の主張)
原告は労働者災害補償保険法の適用を受ける労働者とはいえない。労働者災害補償保険法においては、労働者の概念について特に規定していないが、昭和四八年法律第八五号による改正前の同法第一二条第二項において労働者に行なう給付は、労働基準法に規定する災害補償の事由が生じた場合にこれを行なう旨の定めをしていることから、労働者災害補償保険法にいう労働者とは、労働基準法の場合と同一であると解される。そこで労働基準法第九条をみるに、労働者とは、職業の種類を問わず、事業に使用されるもので賃金を支払われる者をいうと規定しており、同条にいう使用されるものとは、使用者との間に使用従属関係にあり、その労働の対価としての賃金の支払いを受けるものであるということができる。従つて、形式上、使用者に使用せられて賃金を得ていると称しても、実質的には事業主と利益を一にして、事業主と同一の立場にある者は本法にいう労働者ではない。
ところで本件においては以下の事実が認められる。
(1) 事業主たる訴外小林武は既に老令に達したうえ身体の故障も生じていたため、やがてその長男たる原告にこれを承継せしめることを必要としていたものであること、
(2) 原告は昭和四二年札幌短期大学卒業後、札幌市所在の会社に就職していたが、同年一〇月訴外小林武から呼び戻され同人ら家族と同居して右製材業に従事することとなつたものであつて、これは単に右事業における労働力の充足のためというより原告をして将来右事業を引継ぐことを目的としたものと見ることができること。
(3) 原告は昭和四五年一〇月上旬ころ右住居からおよそ五〇メートル離れた訴外小林武所有の建物に別居するにいたつたが、住民としての転居届は未だなされておらず、(住民としての転居届は本件災害発生後にいたつてはじめてなされた。)米殻購入通帳も訴外小林武と共通であり、食事は従前どおり訴外小林武のもとでその家族と一緒になしていたものであり、食費、家賃等の支払いもせず、生活形態は以前とまつたく同一であつた。しかして原告の右別居は将来における原告の結婚を配慮しての処置でありしかも単に寝起きするだけの別居であるに過ぎず、世帯を実質上分離したものではない。
(4) 原告の賃金については、原告は本訴において月額三万円の支払を受けていたと主張しているが、北見社会保険事務所にはこれを二万六千円と届出、又昭和四六年六月二八日付北海道労働者災害保償保険審査官に対する審査請求書にはこれを二万五千円と記載しているものであつて、それぞれ相違があつて一貫性がないうえ、当該事業所では労働基準法に定められている賃金台帳、労働者名簿の備付がなく、その他の資料も整備されていないので、原告が労働の対価として賃金の支払いを受けていたのか否かは明確ではない。しかも訴外小林武は労働者災害補償保険の年度更新における、昭和四五年四月一日より同四六年三月三一日までの確定保険料の賃金総額は九六万八、九〇〇円と報告しているものであるところ、その額の算出根拠は明確でないが、前記審査官において、当該事業場の資料(期間中雇傭されたもの一〇名のうち、二名は支給額不明)により算出した金額は一二五万二、八九八円であつて、報告された確定保険料の賃金総額とは相当の開きがあり、原告に対する右支払額は右報告された賃金総額には計上されていないものと考えられる。
以上の事実を総合勘案するに、原告の労働の実態は、将来事業主たる父小林武の事業を引継ぐ目的でこれに従事し、かつ事業主と利益生計を一にしていたものであつて、実質上事業主と同一の立場にあるというべく、従つて使用主との間に使用従属関係があるということはできないから、原告は労働者災害補償保険法の適用を受ける労働者とはいえないものである。
してみると被告がなした保険給付をしない旨の処分は正当であつてこれには何らの重大明白な瑕疵は存しない。
四 原告(本案前の抗弁に対する反論)
原告が審査請求に対する決定後、再審査請求期間を経過してしまつたのは、次に述べるとおり誠に止むを得ない正当な理由によるものであるから、労働保険審査官及び労働保険審査会法三八条二項、同法八条一項但書により適法な再審査請求となるものである。
すなわち、原処分及びこれについての審査請求の段階において原告の代理人として手続をとつたのは、原告の父、訴外小林武であるが、そもそも北見労働基準監督署の係員が本件作業現場に丸鋸安全カバーを装着せよと行政指導したところ、経験上それは危険防止に役立たず、むしろ反発防止板をとりつけた方が完全であつたが、結局止むなく右安全カバーを取付けた結果、本件事故が発生したといういきさつがあり、同訴外人としては同署の監督指導行政についての憤まんがあり、労災請求をなしたにもかかわらず、これが認められず、その憤まんは一層つのり、しかも原告が本件事故で欠勤し、訴外人も元来眼病であつたので工場操業も十分でなく財政的にも苦しく、再審査請求の方法もよくわからなかつたこともあつて、労災請求とは別個に何らかの救済方法がないかと思いめぐらした挙句、人の勧めにより行政監察局旭川支局更に人権擁護委員会等に相談に行つたのであるが、係官不在などで日時を経過してしまつたのである。加えて、同訴外人はいわゆる個人企業主であり、法的知識も殆んどなく、また時間的余裕もないことなどもあり、再審査請求期間を経過してしまつたのである。
尚、この間北海道労働保険審査官が、同訴外人に対し、「行政監察庁とも相談し、労災保険と健康保険の両方の手続を上にあげていくとどちらかで認められる。」旨の事を伝えている。これを聞いて同訴外人は健康保険の手続もとり、安心していたのである。(ところが健康保険は、業務外の負傷とは認められないとして不支給となつた。)
他方原告は、保険請求手続は全て同訴外人に任せていたし、本件事故による負傷で欠勤中でもあつたので、どのような経緯でどうなつたか一切知らなかつた。
このような事情から、再審査請求期間を経過してしまつたものであり、誠に止むを得ない正当な理由があるのであるから、右審査請求は適法であり、本件取消訴訟も適法である。
第三証拠関係<省略>
理由
一 主位的請求について
まず被告の本案前の申立があるので、これについて判断する。原告が本件につき、昭和四六年三月一三日被告に対し労働者災害補償保険法に基づき療養費および休業補償費の請求をなしたが、同年五月一日付で被告は右療養費および休業補償費を支給しない旨の処分をなしたこと、原告はこれを不服として審査請求をなしたがそれも同年一二月二〇日付をもつて棄却され、右決定書の謄本は昭和四七年一月一〇日原告に送付されたこと、右に対する再審査請求の申立が原告によつてなされたのは同年一一月九日であることについては当事者間に争いがない。ところで労働保険審査官及び労働保険審査会法三八条一項によれば、右再審査請求は、請求人に審査官の決定書謄本が送付された日の翌日から起算して六〇日以内にしなければならないのであるから、前記原告の再審査請求の申立は不適法であるといわざるをえない。
原告は所定期間内に再審査請求の申立ができなかつたのは、止むをえない事情があつたからであると主張するが、右の止むをえない事情とは、単に再審査請求人の主観的な事情では足らず、請求人が再審査請求をなそうとしてもそれをなすことが不可能と認められるような客観的事情の存在が必要と解されるところ、仮にこの点についての原告の主張事実がすべて認められるとしても、右の事実をもつてしては未だ右の客観的事情があるとはいえず、止むをえない事情があつたと認めることはできない。従つてその余の点について判断するまでもなく原告の主位的請求は前記労働保険審査官及び労働保険審査会法三八条所定の審査裁決を経ない不適法なものというべきである。
二 予備的請求について
1 まず原告が労働者災害補償保険法の適用を受ける労働者であるか否かについて判断するに、同法の適用を受ける労働者とは昭和四八年法律第八五号よる改正前の同法第一二条第二項においてその保険給付は労働基準法に規定する災害補償の事由が生じた場合にこれを行なう旨定めている趣旨に鑑みると、労働基準法にいう労働者と同一の者をいうものと解すべきである。ところで、労働基準法九条によれば「労働者とは、職業の種類を問わず、事業に使用される者で賃金を支払われる者をいう」と規定されている。ここに「事業に使用される者」とは事業主と労働契約を締結し、その指揮命令のもとに労働力を提供するものと、また「賃金」とは右の労働力の提供に応じて支払われる金銭をいうと解すべきである。
2 ところで、<証拠省略>を総合すれば、原告の仕事の内容は、実際に丸鋸を操作して原木材料を製材することなどであり、一日の仕事の段取は同訴外人か又は訴外内藤某が原告を含む職工に指示していたので、原告は何ら他の職工を指揮監督する立場になかつたし、又営業面についても、一切を父親が取り仕切つていたことが認められるが、後記認定事実を併せ考えると、未だこのことから直ちに原告が右労働者であると断定することはできない。他方<証拠省略>を総合すると、以下の事実が認められる。
イ 原告は事業主訴外小林武の長男であるが、昭和四二年札幌市所在の短期大学を卒業し、以来札幌市内の事務機器販売を目的とする会社に就職し、その営業に従事していた。ところで訴外小林武は紋別郡遠軽町に製材工場を設けて製材業を営んでいたが、自ら製材機械を操作する等してこれに従事していた外、その妻および約三名の従業員を使用していたが、昭和四二年一〇月頃老令に達したうえ脳軟化症に罹患したことなどのため、原告をして仕事全般を覚えさせやがてその事業を承継させようと考え、押して原告を呼び寄せ、右工場における製材機械の操作等に就かせた。
ロ 原告の右労働に対し、訴外小林武は昭和四二年一〇月ころから同四五年一〇月上旬までの間手取で一万五、〇〇〇円を支給していたが、以後は月三万円を支給し、これから保険料を控除していた。しかしながらたまには父親が忘れてしまい、原告に右金銭の支給をしなかつたこともあつた。さらに右の原告の待遇を他の一般の職工と比較すると、<1>他の職工の賃金は毎年値上げされているのに原告については前述のとおりであること、<2>またその絶対額も他の一般の職工に比較すれば低かつたこと、<3>ボーナスなどの支給額も同様であつたこと、<4>残業しても残業手当が支給されなかつたことなどの諸点で相違していた。
ハ ところで原告は前示の如く訴外小林武に呼び寄せられて以来、同人方に同居していたが、昭和四五年一〇月上旬ころ、工場のそばにあり、父の住居からせいぜい一五〇メートルほどしか離れていない同訴外人所有の建物(それまで同訴外人に使用されていた職工が住んでいた。)に、自から希望して別居を申出、同訴外人も原告の結婚準備にもなると考えそれを許した。
しかし食事を同訴外人の住居で家族と一緒にすることや、食費家賃などを同訴外人に支払わなかつたことは従前どおりであつた。
以上の事実が認められる。右認定に反する<証拠省略>は原告本人尋問の結果に照らしてたやすく措信できない。
以上の事実を総合すれば、訴外小林武は原告を将来自分の後継者にするため、自分の手もとで仕込んでいたのであり、原告もこれに従つていたものであり、原告に支給されていた金銭はその労働の対価というよりはむしろ右の見習期間中、父親が息子に支給していた小使銭と見るのが相当であり、従つて原告は事業主たる訴外小林武かち労働契約に基きその指揮命令により労働に従事しその対価として賃金を支給されていたものというものではなく、かえつて右事業に助力しかつこれを継承するため見習をしていたに過ぎないものというべきである。
そうだとすれば、原告は前記労働基準法に規定されている労働者には当らず、従つてまた労働者災害補償保険法の適用を受ける労働者ではないものといわなければならない。しからば被告が昭和四六年五月一日付をもつて原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養費および休業補償費を支給しない旨の処分は適法なものであつて、何らの重大かつ明白な瑕疵は存しないものというべきである。
三 結語
以上の次第であるから原告の主位的請求はこれを却下し、予備的請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 磯部喬 太田豊 末永進)